『アメリカの不良娘・ベッキー 』Vol.6――「旦那が帰ってこない理由が“まさか”すぎた夜」――
「What’s happening?(どうしたの?)」
ベッキーのそのひと言で、僕は現実に引き戻された。
……いや、どうしたのって、お前、どうして平然としてるんだよ!?
心臓はさっきからバクバク音を立ててるし、頭の中は真っ白。なぜって?
さっき見たんだよ、君と一緒に写ってる“あの大男”の写真を。
で、思わず聞いちゃったんだよ。
「What time is your husband coming back?(旦那って、いつ帰ってくるんだ?)」
もう、緊張で口が乾いて、舌が動かない。英作文どころじゃない。
でも、どうしても確かめたかった。今すぐ彼が帰ってきたら――僕の命、ないかもしれない。
すると、ベッキーは料理の手を止めて、軽く笑いながら言った。
「He is not coming back today. He is in jail right now.」
……え? なんて?
ジェイル?……ジェイル??
その単語の意味が咄嗟に出てこなかった僕は、いつものクセでジーパンのポケットから三省堂の小型英和辞典を取り出した。
「How do you spell ‘Jail’?(ジェイルって、どう綴るの?)」
このフレーズは本当に便利。とっさの時はまずスペルを聞いて、辞書を引く。それが僕の英語サバイバル術だ。
めくる。指を走らせる。見つけた。
【jail】…刑務所、拘置所、留置場。
……は?????????
刑務所ぉぉぉぉぉぉぉぉ!?!?!?!?!?
「え?え?えええええ!?」
思わず声が裏返る。ベッキーはいたって冷静。
僕:「What did he do?(なにをやらかしたの!?)」
ベッキー:「Rape. He raped three women…(婦女暴行よ。3人も。まったくもう!)」
僕:「………………。」
まじかよ……。
今夜だけで人生最大の衝撃が3回目。
1回目:彼女に告白。
2回目:彼女が既婚者だと知る。
3回目:その旦那が婦女暴行で刑務所入り。
いや、情報量が多すぎる。
ていうか、なんでそんなヤバいやつと結婚してるんだよベッキー!!
でも、ベッキーはケロッとしている。
「彼、しばらく出てこれないから」
みたいなテンションで笑ってる。
いやいやいやいやいや!!!
笑えないから!!!
僕はもう完全に箸が止まっていた。マッシュド・ポテトもチキンも、口に入れても味がしない。
いや、それどころか胃がひっくり返りそうだった。
「どうしよう……今ここにいるの、めちゃくちゃヤバいんじゃ……?」
だって、もし刑務所の旦那が早期出所とかしちゃって、急に帰ってきたら?
そのとき僕がここにいたら……?
ま・じ・で・殺・さ・れ・る!!!
今なら全米でよくある「浮気相手がボコられるドッキリ映像」みたいになるんじゃないか?
しかも異国の地。逃げ場なし。電話しても日本まで110番は届かない。
そこまで考えて、ようやく思い出した。
「タバコ買いに行ってくる」って、言って出てきたんだった!!!
ええええええ!? もう1時間以上経ってるじゃん!!
訓練所の仲間たちはどう思ってるだろうか。いや、まさか、僕が金髪美女とディナー中とは誰も思ってないだろうけど…
罪悪感と恐怖が一気に押し寄せてきた僕は、もう限界だった。
「I… I have to go. Thank you for dinner. See you again.(ごちそうさま、また来るね)」
もう、全速力で玄関へ。
靴もちゃんと履いたか記憶にない。
とにかく、命からがらベッキーのアパートを飛び出した。
外の空気はやけに冷たかった。
いや、たぶん気温は変わっていない。
でも僕の身体は冷や汗でビショビショだった。
車に乗り込んでハンドルを握った瞬間、心の底から思った。
「命って大事……」
助手席には、さっきベッキーに渡せなかった、2通目の手紙が残っていた。
それは、万が一、彼女が「No」と言ったときのために、気持ちを落ち着かせる用の“予備”の手紙。
でももう、渡す必要もない。
今夜、僕は人生で一番スリリングなディナーを体験した。
そして、学んだ。
恋は盲目。でも、命は一つ。
果たして、僕は再びベッキーに会いに行くのだろうか――?
続く。
